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「神の国」

■■■6章「現実社会を念仏とともに

6-4「神の国

神の国、発言はもっと大胆に!」 

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≪「神の国」、発言はもっと大胆に!≫  2000.5.22

 森喜朗首相の「日本は天皇を中心にした神の国」発言は、とてもよい発言でしたね。この前の≪女性はなぜ土俵に…≫同様、こういうよい問題が出てくると、どんどんコジレテどんどん長引くといいな~と期待してしまうのですが・・・。当事者たちは必死で片付けようとするのです。

 まずおもしろかったのは、与党の反応で「首相なんだから・・・」「もっと慎重に発言してもらわねば・・・」という言い方。一国の首相なんだから、外面をもっとキチンとして、問題を起こさないように、上手に動いてくれなきゃ。という心配で、森氏の思想についての問題視ではないんです。これって「俺たちだって、気持ちはいっしょだけどさ~」ってことでしょう?「本音はキチンと隠さなきゃ~」って言ってんです。

 発言はもっと大胆に! 本音で言い合えばいいじゃない!

 次は野党だけど、選挙前に鬼の首つかんだみたいにはしゃいでいるみたいですが。「首相退陣、退陣!」って浮かれていないで、もう少し問題の中身を議論したらどうでしょうか。国民の中には「なんで?日本は天皇さんを中心にした国じゃないの?『神の国』だったんじゃないの?」って人も大勢おられるはずです。「主権在民」って言葉はあるけど、本当にそういう国になってるんだろうか、日本という国にとって天皇とはどういうものだろうか、天皇が神であった歴史上の事実は、本当に精算されているんだろうか。そういう議論を作って、国民を巻き込んで、みんなでもう一度日本という国家の姿を考えてみよう、という方向を持つことが野党の仕事じゃないでしょうか。

 それが出来ないということになると、野党のみなさんにも、「本音のところはどうなの?」「あなたたち自身、『天皇の国』『神の国』を精算できてるの?」って勘ぐりたくなってきます。

 きのう(5/21)のNHKのTV番組で、この問題についての各党の政策責任者の討論があったそうですね。私は親鸞さんの誕生会でいそがしくてテレビどころじゃなかったのですが。その中で自民党の亀井静香政調会長が「憲法一条に天皇は象徴であると書いてあり、象徴が国の中心であるのは当たり前だ。戦前の天皇制に戻すことを考えるわけがない」といったそうです。「なるほど」と思いました。象徴・シンボルは中心と言えますよね。やっぱり中心なんですよ。そうなんですよ。やっぱり今だって日本の中心は天皇なんですよ。確かに戦前の天皇制じゃないですけど、今は象徴天皇制としてやっぱり中心なんですよ。

 みなさんはどう思われます?この戦前の天皇制と、今の天皇制の違いって何でしょう?憲法の条文にどう書いてあるかじゃなくて、日本人の心の中でどう思われているか、ってことですが・・・。

 800年ほども昔に、この天皇を中心にした政治のあり方を、天皇名指しで批判した親鸞さんというおじさんを、私はやっぱり先生と思わずにはおれません。親鸞さんが指摘したその問題が、今もまだまだエンエンと続いているのです。もっともっと議論が必要だと思います。

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本音としての「神の国、天皇の国」

 今回は2000年の喜朗総理大臣の発言をめぐっての一文です。森喜朗は今オリンピックに一生懸命の人ですが、総理大臣の時はいろいろと「失言」を繰り返し、自民党の評判をどんどん落とした人です。その失言の代表格がこれです。この発言は、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会での挨拶の一部でした。神道政治連盟は、1969年に結成された団体で、まさしく私が問題にしている<日本人の精神性>を「後世に正しく伝えることを目的」としています。その主な取り組みとして、同連盟の公式サイトでは次のように掲示しています。

     ・世界に誇る皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくりを目指します。
     ・日本の歴史と国柄を踏まえた、誇りの持てる新憲法の制定を目指します。
     ・日本のために尊い命を捧げられた、靖国の英霊に対する国家儀礼の確立を目指します。
     ・日本の未来に希望の持てる、心豊かな子どもたちを育む教育の実現を目指します。
     ・世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立を目指します。

 そして神道政治連盟国会議員懇談会は、その神道政治連盟の趣旨に賛同する国会議員による超党派の団体で、翌1970年に結成されています。今年6月時点で、295名の国会議員が所属しているとのことです。

 その30周年記念祝賀会での挨拶の中で、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く、その思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます」と、総理大臣が発言したわけです。これが国民主権や信教自由などに反するとして、問題になったのです。

 このときの挨拶の中では、下のような発言もあります。

●「地球社会、共生の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思うんです。」(2000.5.15 森喜朗 神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会挨拶より

 総理大臣の挨拶としては、なんとも柔らかな(?良く言えば・・・)文面ですが、こういう感覚はおそらくこの国の大勢の人たちにとっての共通項ではないのかな、と思います。私自身、身近な方々から、同じようなご意見を何度も聞いたことがあります。

 つまり日本の国は元来しっかりとした精神基盤があったのに、それが戦後壊されてしまって、本来の日本人らしさがなくなってしまった。そのために様々な社会問題も生まれてくる。悪いのは戦後民主主義であり、信教の自由であり、男女平等だ、みたいな言い方です。だからもう一度、本来の日本人らしさを取り戻そう、と。

 ですから「天皇を中心にした神の国」というのは、日本国民にとっては<本音>のところではないのでしょうか。本音だけれども、国民主権の手前上、表に出すわけにはいかない。それを森喜朗が出してしまったから「失言」ということになるのでしょうね。それならいっそのこと憲法を変えてしまおうや、というのが自由民主党であり安倍晋三です。

 こうやって、与党も野党も本音を隠してきれいごとで議論しているので、少しも論点は深まらず上滑りを続けるのです。


by shinransantoikiru | 2020-09-13 10:10 | 親鸞さんの仏教