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「第5章のまとめ」

■■■5章「(補足2)本願寺の歴史」

5-27第5章のまとめ」

 ここまで「本願寺の歴史」についてお話してきました。ずいぶん長いお話になってしまいましたが、最後にひと言だけまとめを書いて終わりたいと思います。

教団とは何なのか?

 これまで私自身あまり注意もせずに、「教団」という言葉を使ってきたようです。教団は言うまでもなく、仏教で言う「三宝」(仏・法・僧)の一つの「僧伽(サンガ)」が元になった言葉です。仏の説かれた真実法によって生きようとする仲間たち>のことです。三帰依(さんきえ)という言葉があります。「仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依する」。仏を拠り所とし法を拠り所として生きるということは、仏の説かれた真実法によって生きようとする仲間たち>を拠り所として生きるということだと言うのです。仏教にとって、この<仲間たち>と生きるということはとても大きな意味を持つわけです。

 親鸞さんはそれを「同朋」という言葉で表しました。アミダ仏から願いをかけられている仲間たち。それはそのまま十方衆生すべての命をあらわす言葉でもあります。十方衆生がお互いに尊重しあい支え合って生きる道。その念仏を実践していく中で、新しい命の関係がおのずと生まれ広まっていきました。関東での伝道時代に、万の単位での<仲間たち>が存在したと言われます。★2-8や★3-12を振り返ってみてください。

 そのような本来的な教団と、その後の本願寺教団とを並べて、同じ「教団」という言葉を使っていいのだろうかと思います。「教えにもとづく集団」というならば、その「教え」の中身が問われなくてはなりません。

教えの変節

 親鸞さんの念仏と、本願寺が成立した後の「念仏」との違いを延々とお話してきました。その<違い>を簡単に言うならば、★5-12の蓮如についてのまとめでお話したようなことです。

 親鸞さんの言う「この世のあしきことをいとひ、この身のあしきことをいとひすてる」という教えは完全に姿を消し、そのまったく裏返しの「人間社会の現実を肯定し、自分自身の内面の満足に終始する」ものになりました。それは煩悩が問えないということであり、すでに仏教とは言えないものと言わねばなりません。

同朋教団から戦争教団へ

 ★5-18で「戦争教団」という言葉を使いました。戦争というものが煩悩の自然な帰結点としてあるならば、煩悩を問えないということは戦争を問えないということです。戦争を問えないということは、自ずと自分自身の生き方(思想性)の中に戦争を肯定的に内在させているということです。本願寺の歴史を貫いて、そのことは歴然として現れていることです。親鸞さんの求められたものが同朋教団であるとすれば、本願寺の歴史に見られるものは戦争教団であったと言っても過言ではないと思います。

自らの本質を問えない問題

 人間の本質が煩悩であり、それが最期まで変わらぬものであるならば、私たちの<生きる>という姿は差別であり戦争です。ブッダはそれを「一切皆苦」と見抜き、そこから「涅槃寂静」への道を示そうとされたのです。行によって煩悩を離れる道が、仏教の原点でした。しかしそれがかなわぬ時代になったとき(=末法を自覚した時)、新たな仏教として親鸞さんは念仏を説かれたわけです。その仏教はひと言で言えば、アミダ仏の本願にうながされた煩悩の自覚です。「この世のあしきこと(=現実の人間社会の愚かさ)」と「この身のあきしこと(=現実の私自身の愚かさ)」が厭われてくる(=否定的に問題になってくる)ことです。

 浄土真宗が浄土真宗であるための条件は、それです。自らの煩悩という本質が厳しく問われてくるということです。それがなければ、浄土真宗とは言えないわけです。煩悩がなくなることではありません。差別心がなくなることではありません。なくならないことが、恥ずべきこととして厭われてくるということです。問題になってくるということです。そして、自らの中でそれが問題になってくるとき、おのずとそこから次の一歩を踏み出す行為が模索されるということです。その一点が、今この私自身に問われていることですし、現在の本願寺教団に問われていることであろうと思います。


by shinransantoikiru | 2020-08-24 10:05 | 親鸞さんの仏教