人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「戦争と本願寺④」

■■■5章「(補足2)本願寺の歴史」

5-21戦争と本願寺

敗戦をまたいで何が変わったのか

 大日本帝国は戦争に負けました。この国にとってそれは、明治維新に続いてのとても大きな転換点でした。帝国主義国家としてのあり方を清算しようとする空気が、それなりにあったはずです。しかしながらこの国のアンデンティティとしての神道、および祭政一致という思想性は、そう簡単に壊れるものではありませんでした。敗戦処理の中で、何はおいてでも天皇だけはまず確保したいという思いが、政権中枢にはあったようです。この一点が壊れない限りにおいて、この国の基盤は磐石でした。大日本帝国憲法から日本国憲法に変わっても、そこにはまず天皇が存在し、日本人にとっては相変わらず「この国の中心」として位置づけられているわけです。日本国憲法における「象徴天皇」の問題性については、後日機会があればもう少しお話したいと思います。

 さて、そのような時代の転換期において、本願寺教団はどうであったのでしょうか。これまでお話してきましたように、戦争に対しては全面的に主体的にかかわってきました。敗戦を境に教団内では何が変わったのでしょうか。また、何が変わらなかったのでしょうか。そのことを知ることによって、私たちは現在の本願寺教団のありようを厳しく問わねばなりませんし、そこに関わっている自分自身の足元を振り返らねばなりません。

やはり真俗二諦

 戦争を遂行するための教学的基盤が真俗二諦であることは、すでにお話して来ました。そしてそれが、覚如存覚あるいは蓮如によって説かれ続けた「王法・仏法」という念仏理解であり、本願寺の成立時からの一貫して変わることのない「教え」であったことも何度も確認してきました。

 「真諦」=「念仏」による死後の安楽世界への「往生」を説き、それによる精神的安心を担保したうえで、「俗諦」としての戦争行為へ門徒たちを引きずり込んでいく。広如の遺訓消息以来、本願寺教団が指導してきた内容はそれでした。

 そしてその結末が敗戦であり、大勢の戦死者であり、国中の荒廃と混乱でした。その事実に対して、本願寺教団はどのように評価したのでしょうか。反省し、変わろうとしたのでしょうか。

梅原真隆の例

 この敗戦時をまたいだ時期に、本願寺教団内で指導的立場にいた教学者の一人に梅原真隆がいます。彼の文章を読みながら、敗戦の前と後で何が変わり何が変わっていないのかを考えてみたいと思います。

●「いふまでもなく、日本の戦争は、それが、天皇陛下の御名によつて進めらるゝのであるから正しい。すなはち聖なる戦である。これはわれら国民の信念であり、実に日本の基本性格である。こゝに日本の戦争観の根底がある。そしてそれは大乗仏教の精神と一致するものである。」(1939(S14)年 梅原真隆『興亜精神と仏教』)

 「仏教は戦争を肯定するのか否定するのか」という問いに対して、戦争には正しい戦争と正しくない戦争があり、正しい戦争は肯定され正しくない戦争は否定されると説明し、その後にこの記述があります。日本の戦争は正しい戦争であり、その理由は天皇が進める戦争だからというのです。そしてそれは大乗仏教の精神と一致すると言うわけです。大乗仏教の精神と言うのは何かというと、慈悲であったり無我であるという言葉が使われます。

●「われらの一身を本能的な角度から固執することなく、己を忘れて身を献ぜねばならぬ。即ち利己と独断を払いのけ、私慾と我執をとりのけて、国家の細胞としての、本分を如実に活現すべきである。(中略)ことに、無我の体験に立てる大乗仏教徒は、その典型的な実践者でなくてはならない。」(前掲と同じ)

 梅原に限らず、戦時中はこの無我という言葉がよく使われたようです。私利私欲を離れて国家に尽くすことを無我だと言うのです。自国に執着することが煩悩であるという認識は、まったくなかったようです。ですから「興亜」という幻想に陥るのでしょうし、「正しい戦争」という戯論をもてあそぶのでしょう。

 次にご紹介しますのは、同じ梅原の1945年の文章です。

●「近く実施せらるる新憲法の特徴は、種々数えられることであるが、中就、絶対平和主義に立脚せることはその尤なるものである。すなわち世界に類例のない戦争の抛棄を規定しているのである。(中略)再び戦争を繰返さないよう、その抛棄を全世界に向つて宣言すると同時に進んで世界平和の柱石としての理想的平和国家を確立しようとその覚悟を宣明したのである。(中略)その実現の為には国民がこぞつてその目的に向つてあらゆる努力を傾注しなくてはならない。仍ち世界的秩序を整備して戦争の起こらないような客観的組織を創建若くは強化すると同時に、どんな場合にも戦争を抛棄して生き抜くことの出来る高い生命力を発揮し得るよう精神生活の水準を格段に高めなくてはならない。ここに於いて『宗教』が新しい使命をもつて見直されねばならぬことになる。」(1945(S20)年 『本願寺新報』)

 新憲法の公布に先立ち、その精神とそれに対する仏教者としての対応について書かれたものです。これからはこの日本は世界に先駆けた平和国家を樹立するのであって、そのためにも宗教者はそれを支えるべく、「どんな場合にも戦争を抛棄して生き抜くことの出来る高い生命力を発揮」できるように精神水準を高める使命があると説いています。

 先ほどの『興亜精神と仏教』から6年後の言葉です。語られている内容は、片や戦争賛美、片や平和主義。正反対のことが言われているわけですが、同じ一人の人物の内面において、敗戦というターニングポイントを経て、大きな変化が生まれたということでしょうか。もし戦争賛美から戦争忌避平和主義への思想的転換があったのであれば、そこには必ず前者に対する「否定」あるいは「懺悔」や「反省」がなければならないはずです。しかしここにはそれはありませんし、本願寺として戦争に対する反省の言葉が出てくるのは、もっともっと後です。

「提灯に記号」

 梅原と同じく戦中戦後に活躍した学者に普賢大円がいます。かれの1959年の著書の中に、次のような記述があります。真俗二諦の説明として分りやすいものだと思います。

●「真諦は如来廻向の法、俗諦は人間本有の理性によるものにして、その本質を異にするが、真諦は俗諦に対して薫発の作用をなすというのである。薫発とは信心を得れば法徳が内より生じて、人間固有の五倫五常の性を現行せしめる。例えば提灯に記号ありと云えども、暗夜にはこれを弁ぜないが、内に燭を点ずれば定紋鮮やかに見えるがごときをいう。」(1959年 普賢大円『信仰と実践』)

 ここにある「真諦は俗諦に対して薫発の作用をなす」という表現は、とても分りやすい説明であると思います。「如来廻向の法」としての真諦は心の内面に燭をともすけれども、それだけでは現実の社会生活に現れ出ることはなく、「人間本有の理性」による真実である俗諦があって初めて、それを生かす原動力としてその現実的意味を表す、ということのようです。それを「提灯の記号」で例えているわけです。

 

 この言い方を借りて先ほどの梅原の二つの文を解釈すれば、こういうことになるかと思います。つまり1939年と1945年では、「提灯の記号」が違っているのです。俗諦の状況が違っているのです。「人間本有の理性」による「真実」が、前者は戦争であり後者は平和であるわけです。そして提灯の内側に点されている燭は、「念仏(信心)」という同一のものなのです。

 「提灯」は梅原であり、普賢です。「念仏」を称える「念仏者」です。「念仏者」としての一個の人間は、戦中も戦後も変わっていません。心の中の「念仏」も変わっていません。変わったのは社会の状況です。そして社会の状況に沿いながら、それを是として受け入れ、「提灯の記号」をそのまま鮮やかに映し出そうとする思想性も、何一つ変わっていないのです。それが真俗二諦という「念仏」の姿なのです。


by shinransantoikiru | 2020-07-16 11:06 | 親鸞さんの仏教